江戸切絵図とは?

江戸切絵図とは、江戸の町をいくつかの区画に分けて作成された地図のことです。 歩き旅応援舎のウォークイベントで使用する江戸切絵図は、麹町の版元金鱗堂尾張屋清七が江戸時代末ころに作成し販売していたものです。 この金鱗堂板江戸切絵図は、武家屋敷・町家・寺社地などがカラフルに色分けされており、大変に人気があったことから大量に刷られ、そのため今も多くのものが残っています。

江戸時代、江戸の町は100万人の人口を抱える世界最大の都市でした。 そのうちの約半分は武士、その中には各大名の国元から江戸詰を命じられてやってきた多くの地方出身の武士たちがいました。 彼らは江戸の町に不案内、しかも当時の武士の屋敷には表札が掛けられていませんでしたので、住宅地図のように作られたこの江戸切絵図は他の屋敷へ遣いに行くときなどに重宝しました。

 

江戸切絵図の見方

江戸切絵図は、寺社・武家屋敷・町屋などが色分けされて作られています。赤いところが神社と仏閣、白いところが武家屋敷、グレーの部分が町家といった調子です。

そのうち、武家屋敷には細かく住人の名前が書かれています。理由は上で述べたとおり、武士たちが他の屋敷を訪ねるときに使われた地図だからです。

この細かく書かれた住人の名前を見ていくと、けっこう知っている名前を見つけたりするものです。

これら武家屋敷の名前は、よく見ると書かれている方向が一致していません。それは屋敷の表門の方に名前を向けて書くというルールがあるからです。 つまりこの地図では本多修理の屋敷も高木市太郎の屋敷も表門は神楽坂の方にあることがわかります。

また、大名の屋敷には家紋や●、■の印が書かれています。これは家紋の書いてある屋敷が上屋敷、■が中屋敷、●が下屋敷を表しているのです。

ところで、武家屋敷には住人の名前が書かれていると言いましたが、実は書かれていないものもあります。

たとえばこのように「小役人」と書かれているものもあります。幕府の下級の役人の組屋敷がこのように書かれているのですが、いくら下級の役人とはいえ「小役人」とは・・・。「ちょっとひどすぎねえかい?」という話です。

でも、町人でも名前の書かれている人がいるのです。たとえば・・・

この地図を作製・販売していた金鱗堂は、ちゃっかり自分の名前だけは地図に載せています。 自分の店の宣伝には、金鱗堂も余念がないのです。

江戸切絵図には、その他にも坂道の名前や町の名前なども書かれています。 ところで江戸時代、武士たちが住んでいる場所には、町の名前が付いていませんでした。 それでは不便なので、通称として呼ばれていたところもあります。 番町や神保小路などはその代表例です。

そのような基礎的な知識をもって江戸切絵図を見ると、現在にも通じるいろいろな情報が載っていて面白いものです。 ここに書かれている場所が今はどうなっているのか?

さあ、古地図を持って   

実際に歩いてみましょう!

 

 


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